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このコラムは、日頃多くの患者さんに説明する内容や、書いている時期に感じたことなどを独り言として掲載します。
あくまで私の私見ですもし意見やリクエストがありましたら、当院のメールアドレスに連絡ください。

 



2020年9月21日 
もう一人の医学の師匠
   新型コロナウイルス流行下での生活も慣れてきて、少しづつではありますが日本社会が落ち着きを取り戻しつつあります。今後は有効性がある程度認められたアビガンやワクチン接種などによって完全に怖くない病気としてとらえることができると私は思っています。マスクをつける習慣はしばらく続くと思います。今回流行すると考えられているインフルエンザと新型コロナのコラボ感染ですが、私は日本人がこれほど用心深くマスクをつけている限りはあまり恐れることはないと考えています。当院はここ数か月の間も都会からの新しい患者さんを引き受けていましたが、私はこれらの患者さんから新型コロナを移されるという怖さは全くありませんでした。新しい予約は一日18人位で15か月待ちとなっています。その間にコロナが流行したわけですので、そんなに長い間まった患者さんにこちらから断ることはできません。4月頃は患者さんから気を使って受診を控えてくださる人もいましたが、来られる方は2週間は外出せずに来ましたとか配慮される方がほとんどでした。そんな中で8月に日野原という女性が体調不良を漢方薬で治して欲しいと来院されました。私は日野原重明先生の関係の方ですかとお聞きしたところ、かなり近い関係の方でした。守秘義務があるのでこれ以上は語れませんが、日野原重明先生とのエピソードを思いだしたので披露したいと思います。
  1990年に小林祥泰先生の元での大学院生活を終えて、多発性に脳出血を発症するアミロイドアンギオパチーという病気の髄液診断を日本で初めて開発して博士号をもらって、当時のしきたりに従って1990年に厚生連日原共存病院という病院に赴任して1991年に院長に就任しました。実家の稼業が倒産して借金もあり、大学院時代は無給でアルバイトで生活していその中で結婚したので、大学病院での出世はあきらめて給与の高い病院に勤務することは自然の流れでした。私の実験を引き継いでくれた長井篤先生が2019年に島根大学医学部第三内科の教授に就任できたことには感慨深いものがあります。
  院長に就任して過疎化の進んでいる医師数10人程度の小さな病院をいかに存続させるかは非常に難しいテーマでした。まず行ったことはたまたま寺澤捷年先生の講演を聴いて、今後の予防医学には漢方薬しかないことを確信しました。西洋医学については小林先生に鍛えられていたので、まずまず力をつけていましたがあくまで西洋医学は病気になった人をいかに助けるかが主なので、その患者さんが将来どのような病気になるかはあまり興味を持ちませんし、また現在の専門化細分化された医学の中では、多くの医師は見ている病態さえよくなれば良いと考ていて、現在の訴訟社会では自分の専門の病気だけを診ていれば良いという風潮になるのも自然の流れなのです。しかし、私は自分を頼って来られる患者さんの未来の病気の予防は何とかできないものかと考えました。漢方医学においては、患者さんの病態を根本的に良い方向に向かわすという考え方なので、そこに私の生きる道があると考えて躊躇なく日本一の漢方医である寺澤先生への弟子入りを決断しました。
  当時先生が講座を開いておられた富山医科薬科大学に毎年夏休みを利用して押しかけて先生やお弟子さんたちの外来を見学して、漢方薬のノウハウを学び、次の年まで独学で実践しました。5年位富山に通って、先生が千葉に移られてからは月に一度外来見学に通って現在に至っていますが、嬉しいことに小林先生に寺澤先生を紹介したところ意気投合してくださって、今では小林先生も東洋医学会の専門医を取得されて、年に一度寺澤先生が出雲にご来訪されて、医大生にシンポジウムを開催したり、夕方からは講演を行っていただいたりしています。今年も7月のコロナ禍での開催を対面とウエブを使って開催しました。この二人の先生は私の医師としての能力形成に影響した師匠であることは言うまでもありませんが、もう一人隠れた師匠がいるのです。それが日野原重明先生です。院長になった翌年の1992年の平成3年ちょうど長男が生まれる年に、日野原先生のルーツが私が院長をしていた現在の津和野町日原であることを島根大学筋から聞いて、アポイントを取って先生がおられた聖路加病院に会いに行って講演をお願いしました。先生は私の様な海のものとも山のものともわからない若造に真摯に接触してくださって講演を快諾してくださいました。先生の話によると先祖は江戸時代に日原に住んでいて、日原に野をつけて日野原になったとのことでした。そこから萩に祖父の時代に移ってそこに先祖の墓があるとのことでした。余談になりますが日原という土地は江戸時代は銅が沢山取れて天領で石見銀山と共にとても栄えた町でした。私のいた日原共存病院は厚生連発祥の地として、JAの厚生連合会では有名でした。
  日野原先生が日原に来訪されるという話を島根医大の副学長を始めとする日野原先生の後輩にあたる京大出身の先生たちが聞いて、4人の教授が呼びもしないのに押しかけてこられることになって、講演からシンポジウムに切り替えて大変なイベントになって教授たちの講演料もあるので大出費でした。経費の関係から島根医大の教授たちは汽車で日帰りしてもらい、日野原先生には一泊して頂いて私は宇部空港への送り迎えも含めて2日間先生に接触することが出来ました。講演で先生は、当時成人病と呼んでいた病名はふさわしくないので生活習慣病に改めると言われていて、現在もその呼び名も理念も引き継がれています。人間ドックを日本で初めて行ったのも日野原先生で予防医学の大切さを訴えられました。何よりも衝撃的だったのは当時の医学の世界で行われていたいよいよ最後を迎える患者さんに血管や気管に管を入れて、家族への最後の言葉や最後の食事を妨害していたことに対して、人間の尊厳を最後こそ守ってあげないといけないと訴えて、自分はボランテイアでお金を集めてホスピスを作るんだと言っておられました。また、医師しか行っていない医療行為を看護師や救急救命士にも出来るようにすることが日本の医療にとって大切なことで、そうすることで医療崩壊を防げると言われました。30年経過した現在日本の医療は先生の言葉そのものになっています。
  自分は朝は果物ジュースで昼は牛乳と何か少し食べるだけで、まともな食事は夜だけと述べておられました。 つまり一日のカロリーやたんぱく質やビタミンを考慮された食事をされて105歳まで生きて、ほとんど最後まで現役医師として勤められたのです。
  最後にウイリアムオスラー博士の「医療とはサイエンスに支えられたアートである」という言葉が座右の銘であると言われていました。また、サン、テグジュペリの星の王子様からの言葉で「心で見なくちゃ、ものごとは良く見えないってことさ。肝心なことは目に見えないんだよ」という一文を紹介してくださりました。見えなくても大切なことを信じることの大切さを教えてくださりました。満員の会場は感動の嵐でした。そこから日野原先生の教えを胸に一生懸命に医療を行って赤字病院を黒字に出来たのでした。
  先生と2日間接しただけですが私はすっかり感化されて、私の医療の支えは小林先生から教わった西洋医学と寺澤先生から教わった東洋医学ではありますが、最も大切なことは人を愛して慈しむことで、そのために何事にもひるまない気高さを大切にして、自らの利を考えずに生活を律して過ごすことの大切さを日野原先生から学んだのです。ちなみに、日野原先生は1992年から退職するまで無給で聖路加の院長を勤められて、聖路加の新病院は先生の指示であらかじめ災害時にも対応できるように待合や廊下を広くして酸素の配管を2千本も引いていたので、1995年のオウムが引き起こした地下鉄サリン事件時に640人の患者さんを救うことが出来たのは有名な話です。
  講演に来ていただいた時は81歳でしたが、60歳前にの時に赤軍派によるよど号ハイジャック事件の時の乗客であった時に恐怖を感じて、その時に一度捨てた命なので、今まであった名誉欲は捨ててこれからは世の中の人の為に尽くそうと誓われたそうです。宇部空港で最後に先生をお見送りする時に、「世話になったね。昨夜の真心のこもったアユ料理はおいしかったよ。シンポジウムも素晴らしかったよ。これからも頑張りなさい。何か困ったことがあったら言ってきなさい」と大きなカバンを二つ抱えて去って行かれた姿を今でも忘れることが出来ません。その後、内科学会の研修会などで先生をお見掛けすることはありましたが、先生に声をかけることが出来ませんでした。なぜなら先生と接触した2日間はあまりにも高貴で、私の大切な思い出として心の奥底に留めておきたくて、いかなる脚色もつけたくなかったからです。
  2017年日野原重明先生永眠。。享年105歳。日本の医療の前例主義に風穴を開けて、多くの大切な遺産を残してくださった生涯でした。そんなに私が感銘を受けて私の医療の拠り所にしている先生の生活を最後までお世話をされた方が、私の診察を受けに東京から来られたことの不思議な巡り合わせ感じました。天国で日野原先生が私に大切なことを語ってくださった気がして、生涯私が先生の志を忘れない様に長い文章を書いてみました。先生が最後に執筆された本を来院された日野原さんが送ってくださいました。「生きていくあなたへ :105歳どうしても残したかった言葉」が幻冬舎文庫から630円で発売されています。先生の最後の魂が伝わってくる素晴らしい本です。是非とも読んでみてください。必ずこれからの人生のお役に立ちます。
  
  


2020年8月18日 
新型コロナののクラスター発生のシステム
   島根県の松江市のサッカー部の寮で90数名の新型コロナのクラスターが発生したのはご存じだと思います。また、7月に県立大学生の寮生で新型コロナの感染症に一人罹患しましたが、クラスターは発生しませんでした。
  両方の学校の医療関係者が知り合いなのでよく話を聞いてみて出た結論がありますので、今回はコロナにかかりにくい最小限の注意事項について述べてみたいと思います。
  まずは、県立大学の方ですが、学生の一人が東京の演劇を見に行って確かに新型コロナウイルスに感染して、マスコミを始めとする様々な誹謗中傷の電話が鳴りやまなっかったようです。幹部責任者は大変であったと聞いております。ですが、県からの素早い対応で大学キャンパスにテントをはって3人の医師で手分けをして一斉に600人の学生や職員にPCR検査を行いました。その結果全て陰性で、それ以来マスコミからの電話攻撃はやんだようです。罹患した学生は寮生であったのですが、なぜ広まらなかったかというと全員が寮内でもマスクをして生活するとの指導があって、それをきちんと守っていました。またカラオケや多くの人数で騒ぐなどの行動を控えていたのが広まらなった要因になったと分析されています。例え罹患者とマスク越しに話をしても騒いだり歌ったりしなければ移らないということです。
   一方、サッカー部でのほぼ80%以上の感染の広がりはどうかと考えますと、寮内でマスクはしていなくて、当然全国的にも名門サッカー部なので体力もあり、騒いで話をするのはやめろと言っても無理な話です。また常に行動を共にする仲間なので、全寮制の高校生運動部についてのコロナ対策はかなり厳しくしなくては難しいものだと考えます。
  もう一つ新型コロナに感染したほぼ全員に近い確率で味覚嗅覚障害が認められたと聞きました。このことは今後、インフルエンザの流行期に突入する時期にコロナとの違いを検討するのに大変役に立つ情報ではないでしょうか。
  つまり、新型コロナにかかりにくくして、日頃の生活も出来るだけ規制は最小限にするためには、人込みや対面で会話をする時はマスクをすることは必要ですが、外で道を歩いている時などはマスクは必要がないのではないでしょうか。また、大勢で騒いだり、カラオケで歌ったりは避けた方が良いのですが、対面でなくで共に食事をしたりは問題がないと考えます。インフルエンザの感染力の方がはるかに強いと考えられます。
  また、マスコミの論調も感染数が問題ではなくて、重症化率や死亡率が問題なのではないかと少しづつ変わってきていますが、医療現場でも重症が多かった3月、4月に比べれば、軽症化を認めてきています。また、死亡するほとんどがサイトカインストームといって、免疫細胞システムがくるって自分自身の体を攻撃することによるものですが、早期のステロイド投薬によってこれを防ぐ工夫が出来ているので、死亡率はさらに減ってくると考えられます。もちろん、前回も述べたようにウイルスの変異による弱毒化も進んでくるでしょう。
  最後の問題は、風評被害です。このことは政治の責任です。なるべく早く正確なデータを国民に示していき、ある程度のところで結核と同じ第二類の感染症指定から下げていくことが必要となってきます。またワクチンの有効率が例え50%程度と低くても、それを打ったことによる安心感が人々に生まれるので、開発されているワクチンの実用化を急ぐ必要があります。
  こんな新型コロナウイルスの感染症で世の中が大変なことにはなりましたが、日本の経済にとって良いこともあります。このことは私のように開業している医師にとってはとても辛いことですが、コロナの感染によって医療機関受診者が減って日本の高齢化によっ増大していた医療費が減ってきたのです。何でもかんでも受診していた人が考えて受診するようになりました。団塊の世代が75歳の後期高齢者を占めていく来年くらいから10年から15年の間に医療経済の崩壊が来ると言われていましたが、このまま行くとそれは防げそうな気配になってきました。保険医療で経営が成り立っている私も複雑な心境ではありますが、でも世界に缶たる日本の保険医療制度が崩壊するよりは益しだと考えます。おそらく新型コロナが治まっても、一度国民がこれでもいいんだと知ってしまったら元に戻ることはないでしょう。全ての医師が今後の医者としての働き方の変革を迫られる時期が来ると考えます。
  今まで浮かれていた世の中が、本当に正しいこと本当に必要なことを考えて生きていく時代がすぐそこに来ています。明治以来他国の外圧や戦争でしか変われなった日本が、感染症パンデミックによって変わっていく初めての変革になるのではないかと私は考えます。
  最近の日本に強烈なリーダーシップを持った政治家が現れないのは、現在の日本が極めて平和で民主的であるからです。現在の日本に強烈なリーダーシップは必要ありません。これからも国民の民度を高めて行って、みんなが本当に大切なことがわかるようになれば益々発展していくと私は信じています。
 
  


2020年7月18日 
新型コロナウイルスの種の保存のための弱毒化
   ここ最近東京で新型コロナウイルスの感染者が300人近くに増大していますが、この数字はあくまで感染者であって患者数ではありません。7〜8割の人が無症状だからです。ウイルスが存在するのになぜ多くの人が無症状なのでしょうか。インフルエンザウイルスが入ると今自分の体の中に入ったとわかります。すぐに寒気、頭痛、発熱が認められます。インフルエンザウイルスは強毒で体の免疫細胞が戦う細胞性免疫が間に合わないのです。ワクチンを打っていると液性免疫の抗体が出来ていてそれがウイルスと戦ってくれます。それがワクチン効果なのです。そのうちに徐々に細胞性免疫が活発になってウイルスを除去してくれるので、元気な人は抗インフルエンザ薬を飲まなくても治癒するのです。しかしながら糖尿病や抗がん剤を投与されていたりして細胞性免疫が虚弱な人はウイルス打ち勝つことが出来ずに死に至ることも多いのです。
  コロナウイルスは経過を見ているとわかるのが、ウイルスが入ってから発症するまでがとても長いのです。ということは急性発症型のウイルス感染症としては弱いウイルスと考えられます。では、なぜ多くの人が死に至ったのでしょうか。それはまさに新型であり、人間の体が認識してウイルスと折り合いをつけるのに時間が必要だったのだと考えます。つまり、ウイルスといえど生きた生物なので他の生物同様に種の保存を考えます。人間の中に潜入してすぐに多くの人間が死んでしまってはウイルスの種も途絶えていまいます。ですから多くのウイルスは徐々に変異を繰り返して弱毒化して人間を殺さない様にしてくるのが、自然界での摂理なのです。すでに新型コロナウイルスは人間と折り合いをつけて多くの人間は重症化させない様にしているのに、ここは日本人の悪い癖ですが、一度レッテルを張ったものがすでに変化しているのに、、今までの固定概念がいつまでも変えられないのです。
   鹿児島で悲しい話がありました。ある一人の女性が新型コロナにかかってクラスターの元になってしまって、本人はアルバイト先や学校をやめて、親もその土地に住んでいられなくなって転居して、ついに父親が自殺に追い込まれたのです。富山でもクラスターの発生源になった一家は転居したと聞きました。新型コロナで最近死亡に至った人はほとんどなくて、虚弱者が暮らしている高齢者施設は完全に世間から隔離されていてこのウイルスで死亡することは他の細菌で死亡する確率と何ら変わりがないのではないでしょうか。人間は年をとって細胞性免疫が弱ってくるとどんな小さな病気であっても死亡します。これが天寿と呼ばれて、本人に備わった寿命なのです。コロナウイルスで死亡するよりも家族の感染による世間からのいじめや会社が倒産しての自殺で死亡する方の方がこのままでは多くなってしまいます。東京で多くの感染者がいるからと言って差別するのはやめましょう。不幸にして地方で感染者が出たら、この世間体から感染を広がらない様にすることは現在は必要ですが、近い将来新型コロナは普通の風邪でマスコミで数値も追わない様になることを祈っています。新型コロナウイルスが新型でなくなった時は、コロナウイルスはライノウイルスやアデノウィルスと同じように普通の風邪なのですから。昔日本人がハンセン氏病で患者さんや家族を差別した過ちを決して繰り返してはいけないのです。
  日本をはじめとするアジア諸国で新型コロナウイルスの死亡率が小さいのはかつて同じようなウイルスに体がさらされているからではないかという説があります。さらに日本に潜入して半年が経過していますので、そろそろ政府も弱毒化のデータを出して国民に真実を伝える時期が来たのではないかと私は考えます。
  余談ですが、日本に最初にウイルスをもたらしたダイヤモンドプリンセス号に乗っていた日本人が持ち合わせていた葛根湯を内服していたところ、周りの人は発症したのに自分は発症しなかったという話を先日聞きました。どんな感染症が流行しても葛根湯などの漢方薬で細胞性免疫を高めていると感染の発症予防になることだjけは覚えておいてください。くどいようですが例えカロナールの様な軽い解熱剤であっても発症した時に内服すると死に近づくことも忘れないでください。たとえ医師が処方しても自分の体を守るために内服してはいけません。熱がなくて痛み止めとして平素内服するのは全く問題なしです。
  


2020年6月21日 
新型コロナウイルス流行後の日本人
   前回の独り言でも述べました様に、ほぼ新型コロナウイルス感染との第一の戦いは終わりました。色々な学者が第二波が来ることを言っていますが、私自身は第二波は来てもとても軽微な流行になると思っています。スペイン風邪の時は第二波の時の方が死者が多くて、それを心配している人もいますが、100年前と今では医療レベルも違うし、人々の備えも違うしましてやcovid-19の正体が徐々に明らかになっている現在では、少し強めの悪性の風邪くらいに思っていれば良いのではないでしょうか。いずれにしても体力をつけたり、漢方薬の葛根湯や補中益気湯などを朝1回だけでも内服して、自分の自然免疫を高める備えをしていれば決して怖いウイルスではないと考えます。また繰り返しになりますが、発熱をしても決して解熱剤を内服しなければ若い人であれば自然免疫がウイルスに打ち勝ってくれます。
   そこで問題となってくるのはコロナで日本の経済が変わって来たということを一人一人が認識しなければいけません。そこにレストランがあれば客が来てくれて、クリニックを開業すれば誰でも成功する時代は終わってしまいました。いつも日本は黒船や戦争に負けたりして外圧で世の中を変えていきましたが、今回は新型コロナウイルスという感染症で日本が変わらざるをえなくなってなってきます。旅館やレストランを経営していて客の喜ぶ顔が見たくて日々努力をして、食事の味を研究して行く人は今後も残ってくでしょう。クリニックを経営していて、患者さんの立場に立てずにいつもふてくされているような開業医は、向かないのでさっさと勤務医に戻るか医師として別の仕事は沢山あるので、早く変わった方が良いと考えます。また、勤務医であっても患者さんとトラブルを繰り返す医師は病院を去ることになるでしょう。医師という仕事は大変な献身的な仕事であるので、どんな性格をしていてもただ一つ患者さんの為にと思って働いている医師は残っていくでしょう。献身的にふるまえない人はその性格は変わることはないので、患者さんと接しない仕事が沢山あり、そこは未だに医師不足であることが多いので転職を考える時期が早く来ると思います。
   私自身は医者を天職と思っていて、生きていくために医師としての仕事をしていると思ったことは一度もなく、病気が軽快して笑顔を患者さんがくれる医師としての仕事をするために生きていると思っています。ですから認知症にならなければ生きている限りは医師として働くと思います。本当のことを言うと外来で多くの患者さんの訴えを聴くことは大変辛いのですが、私が漢方薬を出して少しでも症状が良くなって、「先生のお陰で良くなりました」と言ってくれるその一言が聞きたくて日々研鑽を重ねています。西洋医学の薬は開業医レベルの薬は簡単で誰が処方してもあまり変わりがありません。ですが、食事療法を毎回丁寧に根気よく行ったり、暗くなっていたら冗談の一つも言って明るくしたり、症状があれば漢方薬で軽減したり、患者さんが重い病気にならない様に自然免疫を高める治療を先手でしたりすることを積み重ねて、多くの患者さんがコロナが流行していても来院してくれるのです。
  私は医療のことしかわかりませんが、どんな商売も基本は同じではないでしょうか。戦後豊かになりすぎで、一生懸命に働くことを少し疎かにして、安易に金儲けをしてきた日本人に新型コロナウイルスという生物が教えてくれているのではないでしょうか。コロナ後どうすれば良いかは決まっています。仕事でも家庭でも自分の出来ることを一生懸命に行うこと以外にこの難局を乗り切る技はありません。
  商売で得るお金は単価 X 数=売上であることは古今東西同じです。バブルの時代は単価を大きくしても何でも売れましたが、これから少なくても10年は単価を下げて、多くのお客さんに利用してもらって、客に喜んでもらうことに喜びを見出して、そのことに自分のプライドを持つようにすれば、少なくても生きがいを持って生きてはいけるし、数年後に必ず結果はついてくるはずです。そのことを信じてもう一度自分自身を、そしてこの日本を立て直してみませんか。長い歴史の中で数々の難局を乗り越えてきた日本人にはそれが出来るはずです。


2020年5月17日 
新型コロナウイルス(武漢かぜ)終息
  今回の新型コロナウイルスの流行による死亡率は、圧倒的に西洋人に重症患者が多く認められました。日本、韓国、中国などの東洋人に死亡率は欧米に比べてかなり少ないことは不思議なようですが、コロナ以外でも重症度が欧米と東洋人では違うものが多数あります。遺伝子の違いがそうさせるのかまたは気候などの環境の影響なのか、一説によるとBCGの接種の有無も言われていますが、このことは後の研究にゆだねるとして、少なくても日本では重症患者が圧倒的に西洋よりは少なくてインフルエンザよりも軽いウイルス感染症であることもはっきりしてきました。日本ではPCRが出来なくて発見が遅れて死亡に至った不幸な人たちがいたにも関わらず、これだけの死亡率に抑えられたのは、日本人の民度の高さ故のことだと私は思います。
  当院は全国から患者さんが肥満に伴う高血圧、糖尿病、高脂血症、心臓疾患や難治性のアトピー性皮膚炎などで通院されます。緊急事態宣言が発令されてからはさすがに東京からの患者さんには遠慮していただきましたが、中四国、関西からは来院させていました。批判の声も耳にしましたが、当院にくる患者さんは遠くから来院するハンデイーがあるだけに極めて民度が高く、礼儀正しくて常識的な人ばかりです。私は防護服、N95マスク、時にはフェースガードをつけて診察をしていましたし、受付にはアクリルカーボンでガードをしたり、アルコール消毒液やサージカルマスクなども高値で潤沢に購入して、以前から使用していたair successというウイルスや臭い花粉などを除去する機器の台数を増やしまして万全を期して診療していましたので、コロナが怖いと思ったことは一度もありませんでした。近所の高齢者の患者さんには2〜3か月の処方を行って出来るだけ当院に来院しない様に指導していました。経費にすると100万はかけたと思います。今回は近所の患者さんも遠くの患者さんも適切な来院をしてくださったことに感謝を申し上げます。
 今後はどうなるかの緊急事態宣言の間に風邪などの患者さんも含めて、最も多くの患者さんを診察した私の肌感覚で申し上げますと、今回の第一波はこれでしばらく終わりになると思います。東京大阪で緊急事態宣言を発令して2週間経過しても患者数が減って来なかったのは、このウイルスが終息する時期ではなかったということなのです。今現在、日本全国で危機感がかなり薄れているにも関わらず患者数が激減しているのは、梅雨をまじかにして全ての冬の風邪のウイルスの季節ではなくなり、夏に季節が変わろうとしているからなので。.第2波は今年の冬になることが予想されてそれまでにワクチンが市販されることを期待しますが、インフルエンザでもワクチンの有効率は60〜70%です。PCRを保健所がかなり出来るようになった現在では、PCRを行うような発熱の患者さんはほとんどいなくなりました。神戸中央市民の無作為の患者さんに新型コロナの抗体検査を施行したら3%が陽性であったことは皆さんご存じだと思います。結論から言うとこのウイルスは日本人には極めて軽症に終わる患者さんが多くて、まれに重症になってアビガンなどがまだ投与されていなかった時に、一番の致命傷は医師が解熱剤を処方したということだと思います。漢方薬の麻黄湯がタミフルと同等の効果を上げていることは結構な人がご存じだと思いますが、これはウイルスに直接作用する効果は弱く、自分の体温を上げてNK細胞などの免疫細胞が適切に働く温度まで上昇させて自分の細胞がウイルスを退治してくれるのです。漢方医は熱が出た時に決して解熱剤は使いません。もし、一時的に解熱させるとその時は体が一時的に楽になりますが、体温がせっかく上がってウイルスと戦っているのに敵に塩を送るようなものなのです。新型コロナの患者さんが入院してきて、何も投与する薬がない時に38度以上の熱が出た時の頓服の指示で解熱剤を出す医師が未だに多いことは免疫学をもう一度勉強しなくてはいけません。私が研修医の時に行っていた医療が未だに続いているのです。なぜ元気な高齢者が新型コロナで死ぬのでしょうか。それは若い人よりも基礎代謝が落ちて体温が低いからなのです。糖尿病や抗がん剤を投与している人は免疫細胞が虚弱であるからです。免疫機能をアップする補中益気湯がコロナに効果があるのは、NK細胞などの免疫細胞を活性化させるというエビデンスがはっきりしているからです。普段から葛根湯を内服しているとコロナにかかりにくいと申し上げたのは、基礎体温を上昇させるエビデンスがあるからなのです。ちなみにニュースにはなっていませんが、毎年インフルエンザに罹患して抗インフルエンザ薬を投与してもご逝去させる患者さんは沢山いて、私も過去に一人新型インフルエンザの時に経験しました。熱が出てインフルエンザと診断して意識がすぐに低下したので入院して1〜2日で永眠されるました。インフルエンザは極めて怖い病気で、もし新型インフルエンザが新しく流行したら、流行期間は短いのですが1万人以上の患者さんがお亡くなりになることでしょう。今回のコロナ騒ぎは少なくても日本ではマスコミの特にワイドショーが視聴率欲しさに騒ぎすぎで大きくなったもので、コロナは落ち着いても経済の打撃は大きくてかなりの業種はなくなって、代わりにたくましく新しい産業が大きくなることを予言しておきます。
  マスコミというのはいい加減なもので、自分たちが思い切り騒ぎにしておいて、おさまってくるとそのことの検証はなく、しれっとしてコロナ後の経済の立て直しの話題に移っています。
  今後のことですが、今まで医療機関に入り浸っていた多くの高齢者はコロナ後にはあまり病院に行かなくても出来るんだと解り、高齢者の医療費用はがくんと減ると思います。逆の意味で医院の経営が厳しくなってくるでしょう。当院でも4月は15%患者数が減りました。高血圧と高脂血症の薬を1か月でもらっていたり、リハビリに入り浸っていた患者さんは、2か月に一度でも出来るんだと理解したことでしょう。
 また、今まで無駄に何かをしていた人々は自粛生活の中で、本当に自分に大切なお金の使い方は何であるか解ったことでしょう。この民度の高い日本人が自分の手持ちの年金や給与の中で有効的なお金の使い方を理解して、新しい優れた民族国家を形成していくことを私は信じています。特に医師は予算に占める医療費を減らすために、製薬会社に気を使うことなく、ジェネリック薬品を積極的に使うべきだと私は考えます。古来から数々の困難を切り抜けてきた日本民族はたくましく、こんなことでは決して根を上げないことを皆が知っていますし、災害の多い日本であるからこその民族の強さなのです。
 最後に日本人の民度の高さに私は救われましたが、特に島根県は日本一貧しい県で過疎化も日本一であるのも関わらず、今回のコロナ騒ぎでの県民の対応は日本一の気高さであったことを私は感じました。島根に生まれて、島根で仕事をさせてもらっていることを私は誇りに思います。今回のテレワークやウエブでの会議や授業などの結果を見ても島根でも東京に負けない仕事は可能であることがはっきりしました。都会暮らしに疲れた方は是非島根に移住して来てください。移住者にはタダで住居を提供するような自治体も沢山あります。私は現在4500人の新患が13か月待ちで待機しています。この島根の地にまだまだ患者さんを呼んで来て、ホテルやタクシー、レストランなどの町おこしに貢献して行きたいと思っています。


2020年4月23日 
新型コロナウイルス(武漢かぜ)対策:日常生活編
  前回は新型コロナウイルス(武漢かぜ)に対しての漢方薬の役割について述べて、たまには医者らしい文章を書いたなと思っています。患者さんからも大変好評であったので、今回は武漢かぜに対抗する日常生活の注意点について述べてみます。
  今回の新型コロナは世界のウイルス学の専門家によると、従来のコロナウイルスの分子構造と遺伝子が4つ変わっていて自然に変異したものとはかけ離れているらしいのです。武漢にウイルスの研究所が2か所あって、1か所は山の上にあり、もう一つは今回流行が始まったところにあって今は取り壊されているようなのです。最初の頃にネットでそれらしきことを訴えた心ある中国の医師や研究者は全て死ぬか行方不明になっているのです。このウイルスは中国が化学兵器として開発していて、その途中の段階で失敗作が動物を介して世の中に出てしまったというのが現在での世界の科学者の大方の意見の様です。
  また、昨年冬から今年の初めにかけてインフルエンザが近年で最も少なかったという事実もあり、武漢風邪が急速に勢力を伸ばしてきたと言われています。人間の扁桃には一つのウイルスが最初に縄張りとして占めていると他のウイルスは入りにくくなるとの性質があります。もし今年日本でインフルエンザが大流行していたら、コロナはこんなに騒ぎにならなかったかもしれません。インフルエンザほど流行の速度が早いウイルスはありませんが、インフルエンザには重症でなければ効果のある薬が沢山あるので恐いとは思わないのですが、結構な確率で薬の効果がなくて死に至る例は多々あります。毎年約1000万の人がインフルエンザに罹患して、インフルエンザの毒性によっても異なりますが約3000人の方がお亡くなりになります。武漢風邪は流行のしやすさはインフルエンザよりも低く、死亡率は2〜3%と考えられているので、100万人の感染で2〜3万人、10万人の感染で2〜3千人の死亡が予想されます。10万の感染に抑えるとするとインフルエンザで3千人の方がお亡くなりになる代わりに武漢風邪で3千人の方がお亡くなりになると考えるとすると少し気が楽になりませんか。人工的に作られたウイルスの特性のためかそれとも既存のコロナウイルスの感染もPCRが拾っているのかわかりませんが、軽症者が80%いて20%が中等から重症者で二つのタイプがあるとも言われています。今後の研究の成果に期待するところです。
  次に武漢風邪の予防に関して今までの経験を踏まえて何が一番大切なのでしょうか。マスク、密な所へ行かない、手洗いなど多くのことが言われていますが、武漢風邪はインフルエンザよりも流行しにくいことと現在での日本人のマスクの着用の確率の高さから考えて飛沫感染はかなり防げているのではないでしょうか。代わりに罹患している人が接触したところに非感染者が接触しての感染が増えているのではないでしょうか。マスクなどの飛沫対策がしっかりしている病院での院内感染が多くなっているのもその証拠ではないかと考えます。
  外科医はいつも手術の際に清潔区域と非清潔区域の区別をする習慣がありますが、普通の人にはなかなか難しいものです。例えば、電車のつり革、スーパーでのかごや商品は誰が触っているかわからないので非清潔なものです。ドアノブももちろんそうです。それらを触った手は非清潔と考えなくてはいけません。スーパーに出入りする時は必ずアルコール消毒をして、家に帰ったら人が触った可能性のある袋は全て即座に捨てて、野菜や果物はすぐに洗い、最後に再び自分の手を消毒してから日常の料理や家事に入る必要があります。スナックやクラブなどお酒を飲むところが多くのクラスターになったのも、従業員と客がお互いに素手でコップに触って感染が成立するのではないかと考えています。その証拠に愛知県で武漢風邪に罹患して人に移してやるとスナックに飲みにいって、隣に座った女性には移らずにその人が待合のソファーに座っていてそのソファーに座って触った女性に移ったのが何回もテレビで放映されていました。
  これからのコロナ対策はマスクは日本人の清潔感から今のままで十分で、外出禁止ももう限界に来ていて禁止してもまだまだ十分に減ってない状況を考えると、大切なのはそこではなく外での徹底的な接触を避けることと、外のものは全て非清潔なものと考えて手洗い消毒を完全に履行することではないでしょうか。そこで私は外出や食堂に行く際は手袋をつけることを勧めます。かつてヨーロッパの社交界では紳士淑女はみんな手袋をしています。高級ホテルのドアマンや結婚披露宴などのホテルマンも手袋をつけています。これは紳士のマナーであるので自分の手袋を買って、消毒したり洗濯したりして外出時は常に清潔なふるまいを心がけてはいかがでしょうか。
  この文章を多くの人が読んでくださって出来るだけ早く武漢風邪がおさまってくれることを強く願っています。日本には四季があり、温かい時があれば寒い時もあり、悪いことがあった時は未来を信じて歯を食いしばって頑張ることが出来ます。また、災害も多くて常にどこかの地域が被災しています。そんな時も地域のみんなで支えあって生きているから日本人は世界の人から尊敬されるのです。時々武漢風邪に罹患した家族を差別した行動に出る人がいますが、そのことは最も最低の人格であることを世間に公表しているようなものです。常に自分が感染者になる可能性もあることを考えて軽率な行動は慎むべきです。苦しい時も笑いのある愉快な人は、白血球の免疫を担っている細胞が活性化してコロナ対策にもなることを信じて、この暗闇には必ず夜明けがあることを信じて頑張ってください。私も土建屋の家に生まれて何のために医師になったのか。多くの人々を救うためになったのではないかと常に自分を戒めて、医療の最前線で毎日戦っていく覚悟です。


2020年4月4日 
新型コロナウイルス(covid-19)に対抗して
 新型コロナウイルスが猛威をふるっています。漢方薬を主として治療を行っている私としての私見を述べてみたいと思います。
 体の中にウイルスや細菌が入って悪さをした時に、西洋医学では細菌には抗生剤を投与して、ウイルスにはそれに効果のある抗ウイルス剤を投与します。インフルエンザにも抗インフルエンザ薬もあるのに日本で1万人近くの人がインフルエンザをきっかけとして永眠されます。これは人間の免疫システムが虚弱な人にインフルエンザが侵入すれば、いくらウイルスの増殖を抑える抗インフルエンザ薬を投与してもウイルスに打ち勝てないからです。西洋医学では単一的に薬の効果を発揮しますが、人間全体の免疫力を高める薬はありません。免疫を抑制する薬は沢山あり、人間の免疫システムが過剰に反応するリウマチや膠原病などには効果を発揮します。西洋医学には免疫を高める薬はないのです。
 一方、漢方薬はどうでしょうか。漢方薬には人間の免疫を高めて虚弱な体を治す薬があるのです。補中益気湯、十全大補湯、人参養栄湯などがそうで、黄耆と薬用人参が含まれています。また、薬用人参が含まれている漢方は六君子湯、茯苓飲、人参湯、麦門冬湯などさらに沢山あります。古来から、直接的に細菌やウイルスに効果のある薬がなかったので、自分の体を丈夫にして病にかかることを予防したのです。これらの漢方を内服していると病が入った時の抵抗力が増して重症になることを防いでくれます。まさに、昨今の新型コロナウイルスにかかった時の重症化を防ぐ唯一の切り札になると思っています。
 もう一つ、新型コロナウイルスが入りにくくする漢方薬はないのでしょうか。実はあるのです。麻黄という生薬が入った漢方薬です。私は煎じ薬でよく使いますが、既製品のエキス剤では葛根湯、麻黄湯、麻黄附子細辛湯、越婢加朮湯、麻杏甘石湯、小青竜湯などがそうです。これらの麻黄剤を内服していると、体温が少し上昇して体内のNK細胞などの白血球が働くようになって、高齢者などの免疫が弱っている人の新型コロナ対策には最適なのです。私は診察前に必ず黄耆と麻黄が入った煎じ薬を服用して、葛根湯エキスも内服しますので、新型コロナウイルスに罹患する気がしません。当院の職員にも全員に葛根湯か補中益気湯を内服させています。
 どこの都道府県が多いからそこに行くときは注意するとか職業差別をする前にドラッグストアでマスクの代わりに葛根湯を買って毎日内服して鉄壁の体を作っていってはどうでしょうか。因みに私はここ32年インフルエンザにも熱の出るような感染症には一度もかかっていません。これだけ多くの患者さんを診察しているのに不思議なことです。毎日何らかの漢方薬を飲み続けているお陰だと思っています。
 世の中にはそれに接触して自分が壊れていく様な事柄や人物も沢山あります。しかしながら漢方薬で自分の虚弱さを補強するように、自分の心を鍛えて行けばよいのです。病院という所は色々な人が来院されます。時には自分の心が乱されてしまうような人も来院されます。どんな人が来られてもしっかりと自分を持って自らの信念を曲げない様にする日々の心と体の手入れとトレーニングが必要と考えています。この先コロナが一段落するには少なくても2か月はかかることでしょう。私は漢方薬という素晴らしい道具があるので、神様が与えてくれた一つの修行の場と考えて頑張ってみます。


2020年3月2日 
野村克也さんの死を惜しんで
 先日野村克也元監督さんが逝去されました。彼の解説は極めて理論的で素人の私もすべて納得できるものでした。また、ヤクルトでの監督時代にはそれこそ、礼儀、あいさつから教えて、プロとしての自覚を徹底的に選手に教え込んで、4度のリーグ優勝と3度の日本一に輝いた。。その時の教え子が古田、稲葉、石井、高津、小川、真中など多くの現在の指導者を育てている。その意味では長嶋茂雄や王貞治は選手としては一流だったが、際立った指導者を育ててはいません。
 南海のテスト生から貧困のどん底から這い上がった彼の人生の歴史には、多くの学ぶべき教材があります。素質のない自分が長嶋や王に対抗するには努力と考えて工夫を凝らすことしかないと考えて、徹底的に人間の心理を追求しています。阪神や楽天の監督時代には、大物選手の補強もなしにコツコツと若手選手を育てて、よその球団で首になった選手を拾って再生させて野村再生工場とも呼ばれました。運悪く、阪神と楽天の監督を首になった翌年に、いずれも星野監督が就任して、野村の育てた選手を使って優勝しています。自ら月見草の様だと呼んでいた彼の人生には必ず暗い影があったのです。
 その影を作っていたのがサッチーこと野村紗知代であり、家庭で監督を明るくしていたのも彼女なのです。南海、阪神、楽天の監督を首になったのはサッチーの破天荒な行動の責任を取っての話であります。妻を取るか監督の椅子を取るかの選択で、彼は迷わず妻を選んで時には日本国民すべてを敵に回しても妻を守りました。何も文句を言わずに仕事よりも家庭を選んだのです。そのお陰か、息子の克典は本当に素晴らしい人間に育っています。
 世の中には日頃偉そうなことを言っていても、いざ自分の欲望に目がくらんで大切なものを失う人は沢山います。家族は男にとって最も基礎に当たる自分の人生の骨格であります。その骨格である大黒柱である妻を疎かにする人間が、どうして部下やお客さんによくすることが出来るでしょうか。当院に各地から来院する会社の経営者の遊び人も、誰も奥さんを疎かにしている人はいません。彼らはいくら遊んでも妻が家の柱であることをよく知っています。私は知り合いを判断する際に、妻を粗末に扱っている人は信用しません。また、自分のところで働いている職員を大切にしている人は、ほぼ100%の確率でお客さんも大切にしていることが予想できます。
 野村監督が妻のことを、世間ではいくらひどいことを言われても私にとっては本当に大切なんですよとずっと前に語っていたことがありました。妻に先立たれたこの2年間は寂しいつまらない毎日であったことでしょう。そんな中での野村克也さんの死は、本人が望んだ最も安らかな最後であったのではないでしょうか。ご冥福をお祈りすると共に彼が我々に残してくれた多くの言葉の遺産を噛みしめながら、より良い人生を送って行きたいものです。   


2020年2月4日 
高津川という映画を見て
 正月に妻と高津川という映画を見に行きました。島根県の西の津和野町日原という所が舞台でした。私が31歳で院長になった日原共存病院があった町です。そこでの田舎に残って農業を営んだり、JAの仕事をしながら伝統芸能の神楽を継承している人たちの田舎に残って暮らす生き様や、勉強をして弁護士になって都会で暮らす人の考え方などが淡々と描かれていました。また、神楽の好きな高校生がその地に残って神楽を舞う覚悟をするまでの心の葛藤も描かれていました。
 私は色々な場面のほとんどが日原で暮らして知っている場所なので本当に懐かしく思いました。少し、当時の心境を振り返って見たいと思います。
 大学院での研究も目途が立った時に、母の弟が継いでいた実家の土建会社が倒産したのは昭和62年の暮れでした。社長は行方をくらましていたので、母と共に途方に暮れていました。昭和63年の春に妻と知り合って次の年に結婚することになりましたが、お金が全くなかったので医局の配慮で大学院の無給生活よりは良いJAが経営する日原共存病院に新婚で赴任しました。そこで元号が平成になり、内科医師として一生懸命に働きました。翌年の平成2年には院長となり、JA経営の厚生連の発祥の地である伝統ある日原共存病院の経営のかじ取りをしなくてはいけなくなりました。地元の若い人たちと交流を深めるために車庫でバーベキューを定期的に行ったり、地元のカラオケ余芸大会にも出て下手な歌をうたったりして徐々に住民に溶け込んでいきました。夏の朝起きてみると台所にアユが置いてあって誰がくれたかもわかりません。日原では私に食べてもらいたくて届けてくれていて、自分の名を名乗る人はいません。バレンタインデイにはおばあちゃんの患者さんから山ほどチョコレートをもらい、季節季節には野菜が玄関に置いてあったり、大変心のこもった施しを受けていました。生まれ故郷での最後は倒産という悲惨な状況を母が味わっていたその傷心を日原の住民が癒してくれました。私はこの地に永住してもいいなと思っていました。
 しかし、平成9年に大学院での仕事を指導してくださった寿生病院院長の藤原先生が膵臓がんで逝去されて、急遽そちらの病院に転勤しなくてはいけなくなり、日原での生活は終了したのでした。その後日原共存病院2代の後輩院長の就任を得て、過疎化の波にのまれて倒産しました。
 私がいたころは時代も良かったのですが、過疎化に向かうその地域の組織はいつの日かどうしても縮小化することはやむを得ないのですが、その決断を遅らせた時には組織は崩壊してしまいます。
 人の流れはどうしても田舎から都会に向かいますが、都会の人は良いものや面白いものや役立つもの、綺麗で感動的なものには労を惜しまずに田舎に来てくれます。私が平成11年にこのクリニックを開業した時に、この田舎の島根に何とか都会から来院してくれるような技術を開拓したいと漢方薬に関する修練を積んできました。最近やっとアトピー性皮膚炎や神経症、肥満症、高血圧など西洋医学に不満を持つ人達が集まってくれるようになりました。
 田舎にも素晴らしいものは沢山あります。私の故郷の都神楽団の舞は芸術品です。毎年9月には都神楽団を呼んでホテルを借り切って4演目4時間の演舞をを行います。興味のある方は今年は9月13日日曜日10時から出雲ウエルシテイーで行いますので、無料で参加してください。
 このままでは東京に人口が集中して田舎の国土を守れなくなります。何かをしなくてはいけないのです。その時に都会の人がどんな生活をしていて、どんなことを求めているのかを考えに考え抜いて、常に行動を起こしていくうちに都会への一方通行ではなくて、都会からも移住したり観光に来てくれたりして両方向の交流が出来るのではないでしょうか。   


2020年1月1日 
共存共栄、助け合いの日本人の良さを忘れずに
 明けましておめでとうございます。昨年も私の拙い文章にお付き合い頂いて誠にありがとうございました。今年も思い切った心の叫びを綴っていきたいと思いますが、あくまで私の私見であることをご了解ください。
 2019年10月に消費税が10%に上がりました。財務省は消費税を10%に上げることが悲願であったので、さぞかしほっとしていることでしょう。ですが心配なのは経済です。日本人はとても賢い民族なので、、自分の家の経済を保つために様々な工夫をして安くて良い品の選別をすることでしょう。
 3か月で感じたことは私の家から2kくらいにあるJAが経営しているグリーンセンターで朝から行列で、地元の人が出した野菜を買う人が増えたことです
 そんな時にイズミ斐川店店長から当院の事務長に電話があり、至急に駐車場の件で院長からの連絡が欲しいとのことでしたので、店長がいるという時間に電話をかけてみたところかなり怒られました。お宅のところの数名の職員と患者がイズミの駐車場にとめて迷惑をしているとのことで、お宅で警備員を雇ってイズミの駐車場にとめないようにするか、月に20台分の10万のお金を払えとのことでした。職員は4名くらいが通勤の方向から便利なのでとめていることは知っていたので、申し訳ないと思っていました。それなので職員はなるべくイズミで買い物をするようにしていました。私の家もいずみに一日に3回くらい行って買い物をするようにしていました。患者さんについて2か月朝から調べたようです。多い時で20名くらいの人がとめているとのことでした。データを作成して地主にも了解をもらったとのことでした。私は職員についてはともかく患者さんも待ち時間や診察が終わってから、イズミで買い物をしているのではと店長にいったところ、そんなもん買い物する時だけ駐車をすればよいことだと断言されました。
 私は患者さんに迷惑をかけてはいけないと考え、彼の要求に従って1台5千円の20台分の10万円をいずみに1月から払うことを約束しました。
年商7300億円のイズミが地域の最も購買している当院に小さなことを言うなと思いました。
 日本人の商売は昔から信用や看板を大切にして、共存共栄でみんなで助け合いながらやってきました。JAのグリーンセンターや都会での昔ながらの市場が栄えているのはみんなで助け合って、家族のように少ない儲けで商売を行ってきているからです。今回のようなガラガラのことが多い駐車場にとめて目くじらを立てて地域の人間に怒るようなやり方は、アメリカなど割り切った契約社会のやり方なのです。それならばアマゾンの様な巨大な怪物企業に飲み込まれてしまうのは当たり前なのです。こんな小さな斐川町での出来事でしたが、今後日本人が忘れては商売が廃れてしまう一つの事例を私自身が感じた出来事でした。私は何があっても当院を慕ってきてくれている患者さんを守る義務があり、今後もこの方針にぶれはありません。
 今後の日本社会は地域に根差した小規模の商店とアマゾン、楽天などの通信販売の二つの小売り形態が残っていくのではないかと新年の予言をしてみました。これからの日本では大きくなくても誰でも、真心と昔ながらの助け合いの精神があれば再び繁栄していく道があること私は確信しています。ただし問題は繁栄の後にその基本を忘れてしまうと下り坂が待っていることを私自身も肝に銘じて、残りの人生を歩んで行きたいと思います。   


 

〒699-0624 島根県出雲市斐川町上直江1421-17
TEL 0853-73-8181 FAX 0853-73-8182

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