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このコラムは、日頃多くの患者さんに説明する内容や、書いている時期に感じたことなどを独り言として掲載します。
あくまで私の私見ですもし意見やリクエストがありましたら、当院のメールアドレスに連絡ください。

 

院長の独り言


2021年9月20日 
コロナウイルスへの対抗策
  患者さんからリクエストがあって今回はコロナウイルスへの私の対抗策について述べてみます。
  9月20日現在で新型コロナウイルスの勢いは減弱してきています。今まで人流の抑制の一点買いの対抗策しか発信できなかったテレビに出てくる学者や医師会の幹部もワクチン接種の効果を認めて、人流抑制のみの対策から少し転換しつつあります。日本人は極めて真面目な民族で、ワクチンを打っていてもマスクなしで人込みに出る人はほとんどいません。そこがワクチンを打ったらマスクなしで出かける欧米諸国の人々とは大きく違ってきています。インフルエンザでもワクチンを打っていても発症します。ではなぜワクチンを打つのかというと重症化のリスクが弱まるからです。今回のコロナワクチンはインフルエンザに比べて副作用は多いのですが効果もしっかりあることが実証されています。しかし、発熱などの副作用がかなりの効率に出るのでためらう人が多くいます。私がここ1年半コロナ禍で診療をしてきて、漢方薬が役にたつ二つのことを発見しました。
  まず一つが市販でも売られている麻黄湯はインフルエンザにも効果があることがはっきりしていますが、コロナワクチンの副作用もを軽減してくれます。私の周囲の人や患者さんに教えてあげて、ドラッグストアで麻黄湯を購入して頂いてワクチン接種の当日から3日間内服するだけで、95%くらいの人に発熱も倦怠感も何も認めませんでした。麻黄湯はインフルエンザを始めとする全ての発熱性の感染症に有効ですから、余ったら置き薬すれば良いのです。たまたまかかりつけ医に処方してしてもらって余っている麻黄湯があればそれを2日間でもよいからそれを飲めば副作用が出にくくなります。医療行為は常にその行為の効果と副作用を天秤にかけて、どちらが自分にとってメリットがあると考えた時に副作用が減れば当然メリットが大きくなっ受けてみようかと思う気持ちになります。麻黄湯を内服してもワクチン接種後に発熱した人もいますが、よく話を聞いてみると37度5分くらいの発熱で倦怠感のどの症状はなかったなどで、もし麻黄湯を内服してなければもっとひどい状態であったことが予想されました。この麻黄湯は麻黄という生薬が主成分ですので、麻黄が入っている漢方薬や煎じ薬を内服している方はそのままの内服継続で副作用は出ないことが当院の患者さん約1万人のデータで実証済です。ただし麻黄湯には麻黄が5g、葛根湯には3gしか入っていないので、葛根湯など麻黄の少ない漢方薬は倍量以上内服する必要があります。この麻黄には副作用もありますが、目がさえる作用と脈が増える作用なので気を付けて夜早い時間に内服するなどの対策で十分に対応できます。ワクチンは3回目の投与も来年あたり考えられていますし、今後のワクチンの副作用の大きな対抗策になると考えていて、今後のワクチン政策には明るい材料であると思っています。
  二つ目がその麻黄が新型コロナウイルス感染の予防になるということです。これについては色々なエピソードがあります。私が処方する煎じ薬には本人の症状に応じて、約8〜10種類くらいの漢方薬の生薬が入っていますが、ほとんどの処方に麻黄を加えています。コロナ禍で気が付いたのですが、この煎じ薬を飲んでいるとコロナウイルスに感染しにくいことがわかりました。例えば夫婦二人に飲んでもらっていて、大学生の娘が帰省してコロナ感染がはっきりした時に、その夫婦は濃厚接触者あるにも関わらず感染しませんでした。また、昨年12月に関西の患者さんで3か月に1回糖尿病で受診している60歳を超えている方が、会社でたまたま施行したPCR検査でコロナ陽性になったものの、麻黄入りの漢方薬を飲んでいたお陰で肺炎にもならずに熱も出ずにほとんど入院中も無症状で地元の医師にこの漢方薬がコロナ感染に効果があるねと言ってもらったこともありました。この様な話が沢山あって、麻黄の量が少ない葛根湯であっても肩こりでたまたま葛根湯を内服していてコロナ感染症のクラスターの濃厚接触者であっても感染しなかったとの事例もあり、麻黄がコロナを始めとするウイルス感染症の予防になると考えています。
  麻黄入りの漢方薬を内服して予防注射を受けて、普段も何らかの麻黄入りの漢方薬を内服して、人込みではマスクをしている限り新型コロナウイルスに感染する確率は極めて低くなると考えています。その上、最近では抗体カクテル療法の外来での保険適応が認められて、十分な観察の元で1時間点滴をしたら重症化しない確率も増えています。また、手軽に投与できる抗コロナ剤も開発されて治験が進んでいます。そこで初めて新型コロナウイルスが今のインフルエンザの様な感染症の感覚でとらえられるようになってきます。これだけ新型コロナウイルスへの対応で世界中が苦しんだのは、おそらくこのウイルスが人工的に作られて手違いで研究所から出てしまったからなのでしょう。自然のものでないから、自然経過が不自然に増殖するシステムが組み込まれてしまっているのでしょう。
  今後も新型コロナウイルスはゼロになることはないでしょうが、少なくても山は越えたと私は考えますし、何より私たちには麻黄を始めとする漢方薬があります。どんなウイルスが出現しても今回私が行っている麻黄で基礎代謝と基礎体温を上昇させて、NK細胞などの免疫細胞を活性化させてウイルスに対抗するやり方は永遠に使えるツールであると考えます。新型コロナウイルス感染が私に強い味方を教えてくれました。


2021年8月21日 
今後の参考になったオリンピック競技
  今回のオリンピックを振り返って見て私が一番印象に残っているのは、男子4x100mリレーの決勝で一走者の多田修平から山縣亮太選手へのバトンミスの場面です。非常に残念な結果ではありましたが、これからの日本にとって非常に大切な試みであったと私は考えます。過去2回のオリンピックで銅メダル銀メダルと続けてメダルを取ったのは日本人の器用なバトンの受け渡しの技術によるものです。一人一人のスピードは世界のトップの選手に比べて劣っている日本選手が勝つには隙間のテクニックで差をつけるしかありません。今回は最下位の記録で決勝進出していてメダルを取るにはぎりぎりのギャンブルで勝負をかけるしかなかったのです。一走者の多田選手が非常に良いスタートをきってトップスピードでのバトンの受け渡すはずがゴールでスピードが鈍ったのと山縣選手のスタートが非常に良かったために失敗に終わりました。これはたぶん選手コーチみんなで話し合って行ったトライであり誰も責めることは出来ないし、むしろ今度のリレーにおいての先駆けとなるトライであったのではないでしょうか。こうすれば失敗するが、そのぎりぎりのところを狙って世界のトップを狙う姿勢を練習ではなくてオリンピックの決勝で行ったことに意義があるのです。大きな舞台での失敗は必ず次の世代の参考になるし、走力で劣る日本が勝つにはバトンの技術を世界の誰も真似できないものにするしかないのです。
  私自身の漢方薬の修行も同じ様にして向上させてきました。これでもかこれでもかとトライを重ねて失敗から次の成功への道を切り開いていくのです。日本人は特別に体力知力において他の国の人々に比べて優位なものではありません。ですが、ノーベル賞も多く出していて多くの分野で発明をしてきているのは、このトライして失敗して改良していくこの連続を根気よく行っていくからではないでしょうか。
  もう一つ私が勉強になった競技は男子マラソンです。大迫傑選手が6位に入賞したことなのですが、昔は男子マラソンではメダルを日本が獲得したこともありましたが、近年はケニアを始めとするアフリカ勢にかなうことはありませんでした。だいたい走る遺伝子が数段上である上に近年では科学的なトレーニングをアフリカ勢が取り入れているので勝てる見込みはほとんどないのです。大迫選手はどの企業にも属さずに個人がプロ選手となって資金を集めてアメリカやアフリカでトレーニングを積み重ねて今回に挑みました。結果は6位でしたが彼の取り組んできた経過はきっと今後のマラソン界の大きな財産になることでしょう。一人でやってきて、多くの陸上界の重鎮からは変わり者扱いをされての今回のオリンピックであったので、それを今後に生かすためにはリレーとは逆で失敗は許されなかったことでしょう。42.195kmを色々なことを考えての走りであり、今後の日本のマラソン界の未来をずっと考えて走っていたのではないかと私は考えます。きっと彼はマラソンの指導者となって素晴らしいランナーを育成していくでしょうが、自分で考えて自分で行動をして自分で結果を出したという点において大きな財産を得たことでしょう。
  オリンピックで活躍して金メダルをとることは凄いことですが、みんながとれる訳ではなくて多くの競技者は失敗しています。私は大きな舞台での失敗こそが人を成長させるといつも考えています。失敗の原因は何なのか。どうすれば勝てるのか。どうしても勝てないのか。勝つための方法をあらゆる角度から検討してみて更に努力を重ねて行くことが、最後に人生の勝利者になれると考えています。
  私は12月で62歳になりますが、まだまだこれからも失敗を重ねて自分の目指す医療に向かっていくつもりです。若い人の失敗はなんでもありません。自分が成長するための肥やしだと思って大いにトライしてみませんか。日本社会は一度の失敗を多くの人々が集中して非難する傾向にあるように思います。これこそが日本の最大の弱点ではないかと危惧しています。一度や二度の失敗でその人を立ち上がれないようにする臆病な社会から早く脱却したいものです。


2021年7月25日 
清原和博の再起
  先日、プロ野球の巨人阪神戦の試合を清原和博さんが解説していました。試合後に原監督が手を振ったら、「感動しました。頑張って来て良かった。」と語っていました。引退後は覚醒剤の影響からか、人の悪口ばかりを言っていたのが一転して非常に真摯的な解説をしていました。
  2016年に覚醒剤使用で逮捕される数か月前に、銀座のすし屋で偶然清原さんを見かけました。私から二つ席を離してあって背を向けて二人の子供を守るようにしていました。数か月後に逮捕されたので大変驚きました。
  そして現在は、あの頃と違ってとても優しい紳士的な目つきに変わっています。あの二人の子供も長男は慶応大学の野球部に入部して先日テレビにも出ていました。次男は慶応中学に在籍してリトルリーグで活躍しているようです。
  覚醒剤を使用してしまうと常習性が非常に高くて再犯率も高いので、大抵は一度捕まったら警察にマークされます。ここで、家族がいなくて自分のためだけに生きている人はほぼ再び手を付けてしまうことが考えられますが、清原さんのように守るべき子供や家族がいたら全然異なってくると思います。自分が逮捕されたら子供に迷惑をかけると考えるだけでかなりの抑制がかかってくるはずです。
  人は一人では生きていけません。家族や同僚や全ての地域社会の人達の世話になって生きています。私の場合は、家族やクリニックの職員や当院に来院される多くの患者さんの世話になって暮らしています。ですから私の体は自分一人のものではないと考えて暮らしています。ここ6年位酒も一滴も飲むのをやめて十分な睡眠とストレスをなるべくためない生活をするように心がけています。特にここ数年は新患の予約が2023年5月で7千人近くの方々が初診の肥満外来を待っておられます。しかも最近ではほとんどの方がキャンセルもせずに来院されます。多くの人々に期待されていることに生きがいを感じて、さらに漢方薬の上手な使い方を学んでいます。
 世の中で一番不幸な人は、誰からも愛されないで孤独の中でしか生きていけない人なのです。「誰かが自分を愛してくれている。誰かが自分を見てくれている」と思えるひとはどんなに苦しい状況でも人は生きがいを持って生きていけます。清原和博さんは離婚していても子供とのつながりがあって、愛情を注いでいける限りはもう薬に手を染めないことでしょう。私は期待を込めて彼のこれからの人生を見守りたいと思っています。
  日本社会は一度失敗した人がもう一度立ち上がるのにとてもハードルを高くしています。島国で村社会の秩序を保つことがとても大切で、人はなかなか変わることが出来ないという考えから長い時間をかけてそのような風潮になってきているのだと思います。ですが、現代社会は多種多様で一度失敗した人でも活躍できるような場所が存在するようになってきました。誰しも一度や二度は過去にあの時の行動は間違っていたと思い起して恥ずかしくなることはあるはずです。清原和博さんのように一度道を外した人でも、再びチャンスを与えられるような社会になって欲しいと願っています。
  


2021年6月23日 
プロ野球の育成契約選手
  プロ野球の世界でドラフト1位といえば将来を一番期待されて入団されている選手ですが、その中で順調に活躍している選手は半分もいません。一方、育成契約といって本来の一軍の試合に出られないが、3年間の間に3軍での活躍が認められて本当の契約選手になって活躍している選手が沢山います。特にソフトバンクでは日本シリーズで活躍した千賀投手、石川投手、大竹投手、尾形投手、大関投手、足の速い周東選手、日本一の捕手の甲斐選手など多くの選手が活躍しています。むしろ何球団もの指名の中で獲得した田中正義投手はどこへ行ったのかと思ってしまいます。
  育成選手は世間では全く無名であっても何か一つ光るものがあって獲得されています。活躍した選手を見出したスカウトこそがまさにプロの眼をもっている一流のスカウトであるのです。そこには選手の性格やハングリー精神の有無など多くの要素を加味しての評価であったはずです。高校野球や大学野球、社会人野球で活躍していなくても育成契約やドラフト下位指名選手であってもハングリー精神を持ち合わせているので、その負けてなるものかと思う精神がパワーとなって人並み外れた努力を重ねた結果で一流選手になって行くのだと思います。もちろん大谷翔平や佐藤輝明選手の様に並外れた素質があってさらに努力してスーパースターになっていくパターンもあります。いずれにしてもプロ野球から声をかけられる程の素質のある選手はドラフト一位であっても育成契約であっても入団してからは横一線での競争であるということです。
  一般社会でも、私が付き合っている中小企業の社長さんはむしろ大学出は少なくて、若いころにヤンキー活動にいそしんでいた人が大半です。それでも経理もしっかり出来ていて、業績を伸ばして立派にリーダーを務めています。先日、中卒で20歳代で年商数億円の会社を複数経営している方が来院されました。その人の話がとても興味深かったのでお伝えします。「自分は現代の教育システムがどうしても合わなかった。そこで親戚の人に土下座をしてお金を借りて事業を始めて数年で借金は返済した。今は土木や不動産の技術者を他よりも給与を高く雇ったら良い人材も集まって来て、仕事の成功によって臨時報酬を高めに払うようにしたらさらに業績も上がってきました。」と言うのです。高校や大学を出ていなくてもちゃんと経済の仕組みも理解していて、労務管理もしっかりしていて大したものだと思いました。
  東京大学は日本一の大学ですが、そこを卒業して政界財界で活躍している人はいますが、世の中を大きく動かしている人は才能の割には少ないように思います。年をとっても東大に入った時の頭脳が維持されている人はいますが、大抵の人間は東大と東大以外も年齢と共に差が無くなってきます。大切なのは東大を卒業後にどのような人生を歩んで来たのかが大切なのです。卒業後に世の中の役に立とうと歩んで来た人はさすが東大卒と言われるけれども、自分のことしか考えずに歩んで来た人は東大卒なのに大したことはないと言われます。長い人生で15歳や18歳で学業の偏差値が高くても、それだけで将来の成功は約束されていないということです。むしろ18歳以降にどれだけ世の中を観察して、その中で自分を生涯にわたって高めていく様に努力を重ねて行ってこそ成功が見えてくるということだと思いいます。
  野球でのドラフト1位が偏差値の高い大学卒の人間で、育成契約の選手がその他と考えると、必ずしも育成契約であってもドラフト1位に負けるものではないということです。人生が85年から90年と考えると、人生は長くどこの時点で人生の勝利者になるのかは自分で選択が出来ます。例え華やかな仕事はできなくても組織の歯車として立派に勤めて行くことや家庭を大切にしてそこに比重を置くもよし、要は自分が納得できる形を作っていけることが大切なのです。
  私自身も島根県の山奥で育っておよそ教育とは全く縁のない中学までの生活を送って、その後は育成契約の様に期待されずに医師となって、その後も大学病院で出世することもなく、若いころから僻地医療に携わってきたのですが、世の中の役に立つ医療を行うことを一心に願ってきた結果が、今日に至っています。誰にでもチャンスが到来するのですが、そのチャンスを逃さないようにするのかどうかは本人次第です。
  どの年齢からでも遅くはありません。自分のためだけでなくて人の役に立つことを考えて生きてみてはいかがでしょうか。その尊い想いと日々の努力の延長線沿いに真の幸せがあるように思います。
  

2021年5月23日 
眠るように死んでいった素敵な患者さん
   今年の1月と5月に2人の男性患者さんが自宅で永眠されました。2人とも我が斐川町が出雲市と合併する前に斐川町町会議員として一時代を築いた方でとても立派な人でした。共に多くの大病を過去に患っていて心臓の機能が極端に悪化していてBNPという心機能を表す指数が正常の20倍くらいになっていました。さらに共通していたのは家族がとても良い人で、自宅での生活が快適であることも予想できました。さらに最後まで頭がしっかりしていて、病院で最後を迎えることを望んでなくて、いつ家で死んでもいいからこのまま私の診察を望んでおられました。本人たちのインテリジェンスが高いので、心臓がかなり弱っていてそんなに長く生きれないことを正直に説明しておきました。一人は私が診察していて間質性肺炎を長く患っていた奥様を約10年以上前になくしておられて、一人は奥様がいつも一緒に受診されていました。私が心臓が厳しくてあまり長く生きれないことを説明すると「もう私の体はエンプテイですね。もう長く生きたから十分ですよ。先生今まで診てくれてありがとうね」と言ってくださっていました。
  いずれの患者さんも家族から連絡があって「前の日まで元気で食事も取っていましたが、朝起きてみたら眠るような安らかな顔で旅立ちました」と言ってくださいました。この様な患者さんを看取ることは医師としてとても胆力が必要となってきます。患者さんの最後を何もせずにただ少しでも長く家族と過ごさせてあげるには、生前の本人の了解を得ることと家族の理解度が必要なのです。後から何もしないことを家族から指摘されるのを恐れて病院に紹介して入院させて最後を迎えるのが普通のパターンなのです。医師と本人と家族が全て安らかに逝去させてあげたいと思える場合にしか出来ないことです。寝た切りの場合は別で、今では何もしない看取りがやっと世間でも主流になってきましたが、歩けて食事も自分で出来る患者さんの看取りは誰にでも出来ることではありません。BNPという心不全の指標はとても有効で、私はいわゆる老衰の大切な寿命の指標になりうると考えています。
  私も含めて人はいつかは死にます。癌で死亡することが最も多いのですが、ドックで毎年こまめに検査を行っていれば早期発見が出来て、癌の治癒率も向上してきていて、遺伝子検査が進歩してきて癌死は少なくなって行くでしょう。さらに心筋梗塞での死亡もCTで冠動脈の石灰沈着があれば積極的にカテーテル検査も行って心筋梗塞を未然に防げるようになってきました。また、脳の病気はMRIを施行すればいろいろな病気が予見出来て突然死は防げます。認知症が最後に残ることでしょう。認知症になりにくい食事や生活をしっかり理解して行うことが大切です。また、元気な間に自分の病気の予知や死に方について考えるのが、今はやりの終活で最も大切なことのように思います。
    最後に私に色々なことを考えさせてくれて、医師として大切なことを確認させてくださった2人の素敵なおじいちゃんに感謝の言葉しかありません。
   ご冥福をお祈り申し上げます。
    


2021年4月18日 
負けても続く選挙後の活動
   まずは先日の出雲市長選挙の報告をしておきます。
飯塚俊之  : 49.515票(57%)
小豆澤貴洋 : 28.955票(33.3%)
川光秀昭  :  8.407票(9.68%)
 我々が応援した小豆澤は負けて非常に残念な結果でした。
ですが、飯塚さんは自民党、公明党、連合、商工会など90団体の推薦を得ていて、組織挙げて全力で戦っていました。我々は私が61歳で上から2番目の年齢で、ほぼ40歳代の中小の若手経営者の集まりで、選挙の経験もなくて法律の本を片手にしての正々堂々とした戦いでした。私は毎日事務所に顔を出して、みんなを励ましたり、笑わせたりして彼らのメンタルを良好に保つことに専念しました。選挙期間中は、初日の日曜日と木曜日は朝から夕方まで応援演説をして、金曜日には出雲ドームで  700人を前に30分演説をして、土曜日は14時に診察を終わらせて15時から20時まで応援をしました。しがらみのない弱者に優しい政治を訴えて多くの市民の賛同を得ることが出来ましたが、一歩及びませんでした。
  落選が決まってから仲間に私は伝えました。「この選挙で負けて次回の選挙はありませんよ。選挙中に共に戦った仲間を大切にして、自分の商売の土俵で勝って日本一になってください。強いものに挑んで堂々とひるまずに戦ったみなさんは立派でした。選挙期間中に合言葉にした今できることを全てやるその精神は必ず今後の人生に生きてきます。最後に人生の勝利者になりましょう」
  私も29歳の時に実家が倒産してもう立ち上がれないかと思いましたが、あれから30年以上経過して、人の痛みのわかる人間にはなれたと思っています。また、どんなトラブルがあっても一度も逃げたこともありません。人生には節目節目で勝ち負けがつきます。ですが、その結果そのものはあまり問題ではなくて、負けからどのようにして立ち上がったのかがとても大切なのです。若いうちに沢山の負け戦を経験して、その原因を検討したり勇気をもって立ち上がったりするその精神がとても大切で、後の成功へとつながって行くのです。今回の選挙でも私自身も逃げるタイミングは沢山ありました。多くの有力者は逃げて行きました。しかし、逃げていては何の進化もなくて良くて現状維持で多くは衰退していくものです。また、人生の先輩として逃げずに若い人と戦う年配者もいることを教えたかったのです。私は若い仲間にその業界での日本一の中小企業経営者になって欲しいと願っています。彼らが選挙後に私の経験談や考え方を聴きたいというので、一息ついてから彼らと勉強会を始めようと思っています。政治とは無関係の一人一人が成長するための組織にしたいと思っています。選挙は終わりましたが我々の活動はまだまだ続いて行き、私も老いぼれる訳にはいかなくなりました。私も彼らから若さを頂いているからです。
    


2021年3月21日 
全ての遺伝子は世代を超えてつながっていきます
   今回は私の父親の話を少しして見ます。昭和6年生まれのひつじ年で私の長男がひつじ年でちょうど60歳の違いがあって、十干十二支が同じで不思議な縁を感じます。父の父親は宮大工で熊本から現在の美郷町にお寺やお宮の仕事に来ていて父の母親と知り合って、養子に入って結婚しています。二人の男の子が生まれて、父が次男にあたります。次の仕事で大阪に行って離婚しています。父が小学校低学年の時に母親を亡くして、孤児になってしまって戦争中に里子に出されたこともありました。戦後に祖父祖母に育てられて、師範学校に入学していますが、祖父が逝去してからは学校も中退して本当に天涯孤独になりました。教員家系で育った私の母が地域の小学校に赴任してきて、全く異なる家系で育った二人が結ばれて私と弟が生まれました。私が生まれてまもなくして、父は土建業を経営しはじめました。昭和44年に一度会社をたたんで、大阪の岸和田の病院で事務長として雇われて、四国の伊達の殿様の末裔の院長先生がとても父を気に入ってくれて、毎日のように運転手として院長に付き合って北新地に通っていたようです。そこで今までの土建業にないハイソな生活に触れて視野が広まったと言っていました。昭和46年私が小学校の時に島根に帰ってきて昔の従業員を集めて土建会社を再開させて、死亡する昭和54年まで日の出の勢いで会社を大きくしていきました。そして自分が孤児であったことから貧しい人や障がい者の雇用を積極的に行い、老人ホームの方たちを美空ひばりのコンサートに全員連れていったり、寄付したりして社会に大きく貢献していました。私に会社を継ぐのではなくて医師として歩む道を勧めてくれました。そして亡くなった昭和54年7月2日の前日に付き添いをしていた当時大学2年生だった私に,、早く帰って勉強して社会に貢献できる良い医師になれと、怒って私を追い返しました。私は泣きながら大学に帰りました。
   それは父の最後のこれから医師として歩む私への力強いメッセージだったのです。ですから私は絶対に技術も精神も磨いて人の役にたつ使命があるのです。
   この度島根県の養護施設や里親で育っている子供たちが、高校を卒業するにあたって、運転免許をとるお金が15万円の補助では足りずに困っていると聞いて、丸山知事にお願いして全ての高校を卒業する子供たちに運転免許を取得するのに足りないお金を一人あたり17万5千円を毎年寄付することにしました。今年は8人が卒業するので140万を県に寄付してそこから子供達にお金がいきわたる仕組みを作ることが出来ました。このことは父が孤児であって、そこから努力して成功して、私もそのお陰で医師になって、この様な寄付を出来るようになった全てにつながりがあるのです。私の中に孤児たちなどの弱者に対して少しでもお役に立たなければいけないと考える遺伝子が組み込まれているので、今回の寄付につながったと私は考えています。また、当院の職員が寄付の話に賛同してくれて、少しでも協力させて欲しいとの申し出がありましたが、この寄付は職員が一生懸命に働いて得た利益の一部なのですよと説明しています。患者さんに褒められたら、あなた方が通院してくださるからですよと説明しています。   
   さて、そこで今回の出雲市長選挙の話に展開させて頂きます。今回私は自分の持っている全ての力を出し切って戦っています。それは私が応援する小豆澤たかひろさんが、単にロータリークラブの後輩でリーダーシップがあって市長としての見込みがあるだけの理由ではありません。彼が障がい者や弱者を救う職業のサラブレッドだからなのです。彼の祖父が障がい者雇用の会社を60年前に立ち上げて、その障がい者が働くためのブロックを作る会社を経営し始めて、彼の父親はその仕事を引き継いで有名な男気のある方であったと聞いています。その息子であるたかひろ氏も先ずは弱者に目が行く視点を持っています。「誰一人置き去りにしない政治」の実現を掲げています。しかも自民党、公明党、連合、商工会議所全ての推薦を相手陣営が獲得していて、こちらは多くの若者や女性たちなど何のしがらみのない方たちが立ち上がって、、何とか出雲市を夢や希望の持てる町にしたいと手弁当で戦ってくれています。たった一つのしがらみが多くの末端の市民の声であるのです。
  多くの推薦を得ている相手候補は市会議員3期を経験する父親も県会議員であった自民党議員のサラブレッドです。私は一度演説を聴いて本人とも正々堂々と戦いましょうと名刺交換をしました。育ちのよさそうなお坊ちゃまの様な感じでした。
   市役所に勤めていた方や元議員の方には市長として大きな改革はできません。今まで自分たちがやって来たことが正しいと信じていて、その概念から外れた考えが出来ないでいるからです。議員の家に育ったものは今までの政治しか出来ない様に遺伝子に組み込まれて、環境もそうなっているからなのです。昭和の時代までは継続することが一番大切で、それで社会が充分に回っていきましたが、平成から令和にかけて日本の国力が低下してきて、さらに地方の地盤沈下が進んでいる現在は大きな行政改革なくしては地方の政治は持たないのです。今までは良かった政治家や行政畑の遺伝子が邪魔になって来たのです。新しい発想を持って行政マンを上手に使う能力が必要となってきたのです。テレビで自民党の国会議員が橋下徹にやりこめられている場面を見かけると思います。また、丸山達也島根県知事が国に対して鋭い指摘が出来るのは彼らの遺伝子に今までの政治家遺伝子組み込まれてないからなのです。
   今回の選挙の大きな争点は、一つ目が今までの政治を漫然と継続していくのかすたれていく出雲市を市民の意見を聞いて市民の手で改革していくことを望むのかです。二つ目が政治の主役が今までの様に旧平田市で良いのかということになります。どちらに投票するにしても多くの市民に選挙に参加して頂いて多くの民意を反映して欲しいと思っています。
    


2021年2月23日 
ハラミちゃんを知っていますか
   皆さん、ハラミちゃんというストリートピアニストを知っていますか。1年位前から私は彼女のストリートピアノ演奏をユーチューブで聴くのがとても楽しみで、疲れた時や落ち込んだ時などには必ず聴くことにしています。クラシックの様な気取った音楽ではなくて、誰でも耳にしたような音楽を見事に感情をこめて弾いてくれます。ユーチューブの登録者数が133万人もいます。絶対音感があって楽譜なしでもその場で一度聞いた音楽を即興で弾くことが出来るのです。私は元々高貴で気取っているクラシック音楽が苦手なので、彼女のピアノにドはまりです。
   そのハラミちゃんですが、4歳からピアノを習っていましたが、大きな挫折を味わって今日があるようです。クラシックの指導を受ける傍らで、ポップスの練習も勝手にしていて学校で昼休みに音楽室でポップスを弾いてみんなを楽しませていました。その頃のみんなの喜ぶ顔が今の自分の原動力になっているとの語っています。音大に進学して多くの才能あるクラシックピアニストに出会って自信を失って挫折して一般企業に就職しました。ついつい仕事をやり過ぎてしまう性格が災いして体調を崩して休職しました。休職中に都庁のピアノ演奏をした動画をユーチューブに投稿したところ、瞬く間に再生回数が増えて2週間で30万回を達成したという伝説をもっています。一度はあきらめたピアノ演奏の夢をストリートピアノ演奏をして人々を楽しませることに成功しました。
  彼女の何が凄いかというと楽譜もなしにほとんどピアノの鍵盤も見ずに、人々に語りかけるように演奏をしています。つまり自分のピアノ演奏の上手さを自慢してひけらかすのではなくて、「皆さん、楽しく演奏を聴いてください。私の演奏で日頃の嫌なことや辛いことも忘れてリラックスしてくださいね」と私には感じられます。中には涙ぐんでいる人もいます。
    私も本音で患者さんに接している人間の一人としてハラミちゃんの聴衆に寄り添う気持ちがとてもよく理解できます。今の成熟した日本の社会ではごまかしは通用しません。本当にこの人は本音で一生懸命に人々と接しているのかどうかが問われる時代に突入しました。嘘が多くて世論を操作するマスコミや政治に人々は嫌気がさしています。やがて10年20後には新聞もテレビも衰退してユーチューブが人々の情報や通信の主体となっていくことでしょう。
   さて、4月に統一地方選挙が全国で始まります。わが出雲市でも現在の市町が勇退されて新しい市長を選出することになりました。そこで私が所属する出雲ロータリークラブで私が最も可愛がっていて、将来を嘱望している小豆澤たかひろさんが、立候補するので私に応援をして欲しいと昨年の11月に依頼してきました。家族、職員、患者さん、仲間に対しての義理人情だけで生きている私は応援を引き受けました。ところが実質の相手は平田出身の現役の市会議員さんで、政治力は向こうの方が何枚も上手で自民党の推薦も向こうが勝ち取って、公明党や商工会などの推薦も持っていかれて、とても厳しい選挙を行うことになってしまいました。61年の人生の中でほぼ逆境を跳ねのけて生きてきた私にとって、こんな逆境は何ともなく相手からのプレッシャーを自分のエネルギーに変えていまいます。多くの若い仲間も選挙を戦ったことがないので、法律を勉強したり相手からの脅迫ともとられかねない電話にも負けずに、エネルギーも日々高揚してきて頑張っています。出雲にもこんな若者のエネルギーがあったのかと感心しています。
   小豆澤さんを簡単に紹介しておきます。出雲高校を卒業して中央大学理工学部を卒業して鹿島建設に就職して、台湾の勤務も経験しています。若くしてお父様が他界されて、出雲に帰郷して稼業の土木の会社と障がい者の就労支援の会社を経営しています。青年会議所の理事長や出雲市の教育委員も経験しています。その教育委員の時代に私の妻も一緒に教育委員をしていて、会議では役人にに対しても歯に衣着せぬ本音を発言したりして、妻もいつも大したものだと誉めていました。私自身もロータリークラブで常に本音でずばりと発言しているので、彼にはシンパシーを感じています。それもあって自分が立候補したかの様な頑張りぶりに笑ってしまうほどです。
   もう一つ彼に出雲市のリーダーになって欲しいと考える理由があります。彼にはハラミちゃんの様な人々を豊かにして楽しませて、少しでも今よりは幸せにしてあげたいと思う天性の性格があるのです。自分が市長になりたいと思うのではなくて、自分が市長になってぜひやらなければいけないことがあると考えていることです。教育委員の在任中に彼の長男が登校拒否になってしまったことを彼は演説でも話します。おそらく学習障害の様な感じなのでしょう。私も多くの登校拒否の子供を治療してきましたが、親御さんはそれはそれは苦しいものです。その時に行政が無力であることに気が付いて、このことをきっかけに自分のライフワークでもある障がい者や貧困な人などの弱者の立場に立った行政でなくてはならないと今回立ち上がったのです。自分の名誉欲のためではなく使命感で立候補していることに私は共感して、今回の様な大きな自民党という組織を相手にして戦っているしだいです。ここまでやると今やっていることに、例え結果がどうであろうと私は悔いはありません。今も大きな組織と戦ってくれている出雲市の若い仲間を確認できただけでも61歳の私としては満足です。
   今回の選挙は、今までの様な古い行政を継続して出雲市が行うのか、新しい風を吹き込んで多少のリスクはあっても改革に向かって行くのか。いち出雲市民として客観的に見る自分と、最前線で戦っている自分がいてまるでゲームでも楽しんでいるかのような不思議な感覚です。私もハラミちゃんの気持ちがかなり理解できる様になっています。これ以上述べると事前選挙運動で選挙違反になってしまうのでこれ位にしておきます。
    


2021年1月27日 
年頭にあたって
   新年あけましておめでとうございます。
新型コロナの3波もピークを超えましたね。マスコミはまだ多いと騒いでいますが、パンデミックの際には患者数は倍々になってくるのが普通なので、今の状態は完全に治まって来たと考えられます。また、毎年この時期にインフルエンザの流行が治まって来るのは、乾燥と寒さが弱まって来るからなので、そのことからも今回の流行の波は下火に向かうことでしょう。緊急事態宣言やGO TOの中止はあまり効果がなかったと考えます。マスクをして手洗いを行っていても感染が増大するのは自然の流れであり、来る時が来れば自然と治まってくるものなのです。最も悪いのは視聴率を上げるためにあおるマスコミではないでしょうか。感染が治まってくるとワクチンの副作用が怖いとあおります。予防注射はある一定の確率で副作用が出ます。今までインフルエンザなどの予防注射で副作用が出た人はやめた方が良いと思いますが、特に何も問題なかった人は受けた方がメリットが大きいと思います。
 さて、コロナの話はこれくらいにして、新年の新たな話をさせて頂きます。今年の正月も箱根駅伝を見ていました。前半戦で青山学院が12位と出遅れてしまいました。この1年間キャプテンとしてコロナ禍でみんなを引っ張ってきた神林君が仙骨の疲労骨折を起こして走れなかったことや、昨年5区の山登りでブレーキとなった竹石が1年留年して再起をはかった今年も活躍出来なかったことなどが主な原因であったと考えられます。神林君も竹石君も今回を最後に陸上から引退するとのことです。悔しい気持ちは本当によくわかりますが、原監督の選手を思う気持ちも素晴らしいと思いました。今回の駅伝で予選落ちをしても良いから神林を走らせようとして神林にさとされて断念したとのことでした。また、過去2回も5区の山登りで活躍出来なかった竹石を再チャレンジのためにもう一度5区に起用する勇気に対して教育者としての大きな器を感じました。勝つことだけでなく教え子の将来を考えての決断であったことでしょう。だから、監督の思いが選手に通じて復路で優勝して、総合でも奇跡的に4位に挽回出来たのではないでしょうか。
  この世の中に組織を思い通りに動かせるトップは誰一人としていないと私は考えます。雇われ院長を2度経験して、今は従業員15人の小さな組織のトップでいますが、全ての職員を思い通りに動かすことはできません。だったらせめて職員の本当の幸せを願ってトップが行動をして、後は職員一人一人に考えて行動してもらう。このやり方を私も原監督も考えているのではないかと思います。大事なところで走れなかった神林君、箱根で一度も監督の期待に応えられなかった竹石君、くよくよすることはありません。人生はまだまだ長いのです。この逆境をマイナスにとらえずに、自分を反省するパワーに変えませんか。自分の境遇にくよくよして人をねたむのではなく、失敗した原因を探って次の人生に生かしませんか。私自身も30歳までは何も良いことがなくて、自分を卑下して生きてきました。高校時代の同級生に会うと何でお前がこんなに出世するんだと首をかしげられます。31歳から現在の61歳まで常に自分を反省して疑って生きてきたお陰で、次々にアイデアが浮かんできます。失敗こそ自分の栄養源であると考えられるようになってきました。今でも遠くから治すのが難しい患者さんが来院されると過去の自分の失敗を省みて、新しい未来のパワーを出していくことが出来るようになりました。そのことは論文や教科書にはそのヒントも書いてなくて、自分がこの患者さんの難しい病態を治したい一心で集中することで、新しい漢方薬の処方が生み出されます。記憶力は衰えてきますが元々それほど記憶が優れていたわけではないので、創造する力でもう少し頑張ってみるつもりです。
   どんなことでも自分の好きな分野で道を究めていきましょう。コロナ禍でみんなが苦しいのです。この苦しみをどうやって克服するか一生懸命にあきらめずに考えましょう。考えれば必ず良い答えが見つかるものです。青学の原監督の教育はも選手一人一人にどうして失敗したのか考えさせる。そしてどの世界に行っても通じる足腰の強い人間を育てるのが彼の指導ではないかと考えます。根っこから人間を変えて強い人間をつくる原監督と、根っこから体質改善をして病気に打ち勝つ体質を作る私の漢方薬には相通じるものを感じます。
   今年もよろしくお願いします。
 
    


 

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